勢力を張る平夏部であった {歴史・中国・北栄}

タングート族は唐代より甘粛方面に居住しており、その勢力の中心となったのがオルドス地方南部の夏州に勢力を張る平夏部であった。

その首長である拓跋思恭は唐を援助した功績で国姓の李を授かっていた。

宋政府は平夏の懐柔に努めて西平王の地位を与え、概ね友好関係にあり、北漢討伐の際には平夏よりも兵が出ていた。

平夏部の支配地は農業生産に乏しいが、その代わりに塩を産出するのでこれを輸出してそれと引き換えに食料・茶・絹などを手に入れていた。

これは青白塩と呼ばれており、質が高く値も安いことから買い手には喜ばれた。

しかし宋国内で塩の専売制が確立すると宋政府は青白塩を禁止し、自らの官塩を強制的に民衆に買わせるようになった。

タングート側は青白塩を認めるように何度も宋政府へ要求するが、これを認められず次第に反抗的になってくる。

北漢滅亡後の980年に李継捧が地位を継ぐが、この継承には部内よりの反対が多く、その地位は不安定であった。

これに不安を感じた継捧は自らの支配地を宋に献納し、開封にて暮らしたいと申し出てきた。

太宗はこれを大いに喜び、継捧に対して莫大な財貨を与えて歓待した。
update:2010年03月09日